さとうの切り餅

さくらももこさん、お借りしてます。

地下鉄

振動がジーンズの右ポケットから太腿へ伝う。

地下鉄車両の中は生ぬるい熱気が漂い、さまざまな匂いが混じり合った空気が充満している。

iPhoneにパスコードを素早く打ち込み、受信したメッセージを開く。

電波が悪いせいかいつもよりアプリの起動が遅い。

緑色の背景に、白の文字で会社名の入った画面を見続ける。

急に電車が揺れたので左手のつり革に力が入る。

目の前で熱心に画面を凝視するこの人々は、それぞれ何を見ているのだろうか。

少し顔を上げると、トンネル内の闇を奥へ奥へと切り取る無機質な窓に、自分の顔が映る。

パンダと珍さん

 

彼女はときどき、僕のことをチンさんと呼ぶ。

こんなに珍しい人はいないから、漢字の「珍」で、珍さんらしい。

けど音で聞こえるのは「チンさん」なので「ねぇ、いつも俺を下ネタに巻き込まないでよ」なんて、笑ってあしらっている。

 

先日僕らは、2人で初めてで海外旅行に行った。場所は台湾。

けど「1番楽しかった思い出は?」なんて聞かれても僕は、タクシーの運転手さんが本物の「陳さん」だったことを、後部座席で2人クスクス笑い合っている時間だったりする。こういうのって需要が無いから実際ヒトには言わないんだけどね。

 

僕らは先月2人とも25歳になった。

出会ったのは高校 (何年生かは2人とも忘れた) なのでもう、知り合って7,8年にはなろうか。

 

年齢的には、あの頃のからしっかり大人に近づいているけど、会話の内容なんてほんと、人に聞かせられるようなモンじゃない。思考回路が高校生のまま凍結してるんじゃないかとすら思う。

けどそれがどうしようもなく楽しくて、その下らなさは確実に僕らを繋ぎとめたいるモノの1つな気がしてるのも事実かなぁ?とか考えたり。。。

 

下らないコトって絶対必要だと思っている。

不完全なモノが無くなってていくと、社会や組織なんかも途端に息苦しくなる。(それでもって、息苦しいところにヒトは集まらない。)

 

以前オードリーのラジオで、

「同じ冗談でも、お前が言うとコメディだけど俺が言うとドキュメンタリーに受け取られる」

という様なことを言っていたけど、あまりにもドキュメンタリーな人って割に多い (上手に隠せてる人も含めると) と思う。

 

ヒトの魅力って、不完全な部分にたくさん詰まってるのに、勿体ない。

だから、普通に話していてナゼそこまで理論武装するのかな?って思うコトがときどきある。いや、結構ある。

 

特に、好きなものの話題まで説得力がある人にはビックリする。

例えば「マツコの知らない世界」で、ゲストの方が「○○を好きになった理由」聞いて納得した試しが無いけど、本当に好きなモノの説明って、そもそも「説得」じゃないから、こっちが自然だよね?違うかな?

 

最近もロックフェスが流行ってきたら「何でフェスに行くの?」なんて聞かれることが増えてきて割に困る。(音楽が好きだから、以外の理由があるのかなぁ?)

 

だから台湾旅行も「パンダが好き!」ってだけで動物園は絶対行こう!とか言われると笑っちゃう。動物園駅なんて、他の旅行者は存在も知らないんだろうな。

 

まあ実際、パンダをみる彼女の笑顔には、好きって説得力が何よりもあるんだけどね。

僕は心の中で、そっちの方が「珍さん」じゃんとか思ったりする。

 

というかそもそも生まれながらにみんな「珍さん」なんだからさ、人目なんか気にせず好きなものを追求すれば素敵なのになぁ。

 

平日の動物園、人もまばらなパンダ園の柵の前で、僕も彼女を好きな理由は説明できなくても良いかな、なんて思う。